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東日本大震災は私を変えた。~あの瞬間、私は~

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皆様は覚えていますか?

 

8年前の3月11日の出来事を。

 

 

日常が変わる瞬間

 

東日本大震災発生当時

私は高校1年生でした。

 

ちょうど、その時期福島は高校受験。

そのため学校は休みになっていました。

 

東京の大学に進学した姉のところに

私は初めて1人で遊びに行きました。

 

3月11日14時46分

 

東京は震度5の大きな揺れに襲われていました。

 

姉と私はアパートでテレビを見ていました。

揺れが収まり、

地震速報を見ると

震源は東北。

 

東京でこんなに大きな揺れだったのに

実家はいったいどうなっているんだろう。

 

電話は通じません。

メールは送れません。

家族、親戚、友人

だれの安否確認もできません。

 

家や建物、道路が崩壊し

黒く、大きな津波が町を飲み込み

避難所の映像がテレビに映る

 

幸い実家や親戚は沿岸部にはおらず

単身赴任していた父だけが

いわき市にいました。

 

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https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/iju-tokyo/city-town-vill.html


通じるまで何度も電話をかけ続けました。

 

最初に電話が通じたのは

父の職場でした。

 

「こちらは大丈夫。津波もない。

でも今職場が大混乱で

机やいすがぐちゃぐちゃで自分のがどれかわからない。」

いつも冷静な父の焦った声

 

その日のうちに

家族と親戚、親しい友人の無事を確認しました。

 

しかし、断続的に続く余震と

突然振り出した雪。

いつどうなるのかわからない不安。

 

姉と、同居していた従姉と3人

テレビをつけたままリビングで寝ました。

 

 

私の人生が終わった気がした

 

翌日、

被害の概要が明るみになり

私はしばらく福島へは帰れなくなりました。

 

新幹線さえ動けば

高速バスさえ動けば

すぐにでも帰るつもりでした。

 

そんな私の目に飛び込んできたのは

 

福島第一原子力発電所が爆発する映像でした。

 

 

ああ、終わったんだ、福島は。

 

 

 

 

高校生ながらに

私はそんなことを考えていました。

 

原子力発電所の知識

 

皆さんは学校で

発電方法について習った記憶はありますか?

 

例えば

風力発電は地球にやさしいとか

火力発電は石炭や石油を使用しているなど。

 

福島第一原子力発電所は1971年に運転を開始。

震災まで40年、電力を供給し続けていました。

しかし、当時の私の知識は

原子力発電のメリット

安定して大量の電力を供給できる。

 

デメリット

事故のリスクが大きいが、事故が起こる可能性はかなり低い

 

ということだけでした。

福島に住んでいるのに

事故のリスクが一体どんなものなのかも知りませんでした。

 

有名なチェルノブイリ原発事故や

スリーマイル島原発事故は

他人事だと思っていました。

 

爆発の瞬間

 

爆発とともに

大量の放射能が風に乗って

福島を覆いました。

 

爆発の瞬間、

 

屋根で修理をしていました。

水をもらうために並んでいました。

水道が止まっているので、井戸の水をくみ上げていました。

 

そうしなければ生きられないから。

 

私はただ遠いところで

テレビやSNSを通して見ることしかできませんでした。

 

 

「帰ってくるな」

 

地震から3週間後

私は福島に帰りました。

東京で過ごした3週間を

私はほとんど覚えていません。

 

新幹線が動いたから帰ると

母に伝えたときの返事は

「帰ってくるな」 

でした。

少しでも被爆しないために。 

食事は洗い物を出さないためにラップをお皿代わりにして

缶詰などを食べている。

 

戻ってきても、お互いに負担が大きくなるだけでした。 

 

それでも

無理やり私は帰ることにしました。

 

新幹線は那須塩原駅で止まってしまいます。

当時ガソリンも不足している中

母の知り合いが車で迎えに来てくれました。

 

高速道路は

デコボコでした。

 

見慣れたスーパーやコンビニや真っ暗で

ほとんどの家の屋根はブルーシートで覆われていました。

 

我が家も例外なく

石垣が崩れ

階段の手すりは落ち

食器の数は約半分になり

祖父が大事に育てていた花たちは

鉢植えが倒れて割れ

お風呂のタイルははがれていました。

 

母は、震災当日

靴を履いたまま家に入ったそうです。

 

当たり前の命

 

家族がそろったとき

なんとも言えない安心感に包まれました。

 

たとえタイルがはがれていても

家のお風呂に入れることがうれしかった。

 

当たり前に会った日常は

いとも簡単に崩れて

それを取り戻すのは

あまりにも大変でした。

 

あの感覚を

 

私は忘れないでしょう。

 

 

復興とは何か

 

あれから8年以上が経ちました。

 

原子力発電所の事故があった以上

震災前の福島に戻ることはできません。

 

 

PTSDを発症したり

うつの症状が出る人がまだいます。

 

建物や環境だけではなく

心も取り戻す必要があります。

 

問題が山積みの中

熊本地震

北海道胆振東部地震

台風被害

 

日本では

被災地と呼ばれる地域がたくさんあります。

 

でも

もう終わった、と思った福島の地で

今も人々は生きています。

 

どうか、

各地の被災地に活気が戻りますように